PIAZZAとは

■ピアッツァの誕生と苦戦

 ピアッツァは1981年にいすゞ自動車が販売を開始した3ドア ハッチバッククーペである。





 デザイナーは、名車117クーペに引き続き、イタリアのデザイナー、ジウジアーロが担当した。
 ジウジアーロはいすゞ自動車に対して、日本人の体型にあった小型の使い勝手のよいクーペを提案し、いすゞがこれに応え、ショーモデル「アッソ ディ フィオーリ」が’79年のジュネーブショーに登場した(写真)。

 ショーの評判は上々。他社がジウジアーロに「なぜこんないいデザインをうちでやってくれないんだ」と言ったとも伝わっている。

 こうした評判をうけて生産決定し、ほぼ同じイメージの市販版として登場したのが、「いすゞ ピアッツァ」である。
 上の写真はイタルデザインが公表しているものだが、全体像を撮ろうとしたためにアッソの魅力が分からない。
 石田氏のサイトの写真などがよい。


 また、「アッソ」と「ピアッツァ」の差異については、JR East Japanが詳しい。



 名車117クーペと入れ替わる形となり鳴り物入りで市販されたものの、販売的には苦戦した。
 走行性能の低さや、お洒落すぎたデザインが一般大衆には受け入れられなかったためと言われている。

 高価な価格帯に属したピアッツァの最大の弱点は、その美しくスポーティな外見に見合わぬ足回りである。ピアッツァが登場した’81年でも、上級車は4輪独立懸架が常識となっていた中で、廉価なモデルであるFRジェミニの足回りを受け継いでいた。この足回りはリア固定車軸懸架(リジッド)で、同じGMグループのオペル カデットの足回りであり、その登場は’70年代と古いものであった。残念ながら、接地性に劣り、耐久性の高さのほかに見るべきものがない。


 後のターボエンジン導入や、足回りを外部にチューニングさせたイルムシャー仕様・handling by LOTUS仕様の導入でてこ入れされ販売に貢献したが足回り形式の古さは変わらず、一方でライバル他車の進化もめざましく、不人気車という位置づけは変わらなかった。

 その後1991年まで販売され、3代目ジェミニの顔違いである2代目ピアッツァと交替することで、ジウジアーロデザインのピアッツァは消えていった。その2年後にはいすゞ自動車は経営不振から乗用車部門から撤退した。

 偶然であるが、初代ピアッツァ生産終了の1991年、スクープ雑誌で「次期ピアッツァ」とされたスバル アルシオーネSVXが登場している。こちらを事実上の後継車種とみなすものもいる。


 ピアッツァの特長は何と言ってもそのデザインである。
 足回りの性能は残念ではあるが、いわゆる旧車となった今では、大した問題ではなくなっているともいえる。


■ピアッツァの顔

 販売期間の長かったピアッツァには、さまざまな外観の仕様が存在する。
 前期型JR130と後期型JR120ではボディの構造に一部違いがあり、リアハッチまわりやBピラーが異なるといった違いもあるが気づきにくい。
 しかし、ヘッドライトとボンネット、前後バンパー、スポイラーのタイプ、リアガーニッシュパネルの有無が誰にでもわかる違いである。

 このうち、ここではヘッドライトの違いを取り上げておこう。


 一番上は、前期型販売当初からの異形2灯。これがアッソから引継ぐピアッツァの基本デザインであり、ピアッツァの特徴であるセミリトラクタブルライトになっている。いすゞ販売網での仕様では最終型まで続く。

 中間は規格4灯のタイプで、最初は輸出仕様に採用され、外車ディーラー・ヤナセで販売された「ネロ」仕様でも採用されていた。また、イルムシャー仕様ではいすゞ・ヤナセ両仕様共規格4灯が採用されていた。

 一番下は、規格4灯より小さなライトを採用した4灯のタイプで、後期型の輸出仕様とヤナセ仕様に採用された。この仕様ではセミリトラクタブルではなく固定になっており、ボンネットの形状も異なっている。


 どの仕様にも支持者がおり、好みとしか言いようがないが、実用的には異形2灯が明るく好ましい。

 規格4灯はライトが小さいだけに暗く、夜間の運転では不満がある。しかし、規格であることを活かし、ガラスにレンズカットのないマルチリフレクタークリアライトに交換し、HIDを入れることで充分な明るさを手に入れられる。

 筆者の好みは、規格4灯リトラクタブルである。




■スペック 

 10年の長きにわたって販売されたピアッツァには様々なモデル、仕様がある。その違いについてはJR East Japanが詳しく、ここでは紹介しない。

 後期型で円熟したモデル、XE handling by LOTUSについてざっくりと言えば、

  ・150馬力/5400rpm、トルク34kgm/3400rpmの、低回転型でパワフルな実用的ターボ付きエンジン
  ・フロント ダブルウィッシュボーン、リア 5リンクリジッドの、極めて古い足回り

と紹介することになる。

 細かなスペック表は以下を参照されたい。

 '89 XE handling by LOTUS (MT)スペック表


■今一つ注目されぬ理由


 ピアッツァが登場時に大変注目されたにも関わらず、現在旧車としてもあまり顧みられていない理由を考えてみたい。

1.名車117クーペとの比較
 いすゞには名車117クーペがある。ギアに在籍していた若き日のジウジアーロの傑作である。極めて豊かな曲線を持ち、かつスマートで、当時の車らしくそしてクロームメッキ部品を多用していることからくるノスタルジー感をもつ。
 それに対して、ピアッツァは未来的なデザインであったが、革新的だったフラッシュサーフェースなどの特徴は現在ではごく普通の技術となり、樹脂バンパーなど当時先進的であったデザインと技術を採用した故に現代の車と変わらない印象を与えてしまっている。傑作117クーペに比べなくとも、旧車に求められるノスタルジー度があまりに不足しているというのが一つの理由かも知れない。

2.レース実績がなかったこと
 レースなどで華々しく活躍した車種は、その栄光を背負って語られる。しかし、ピアッツァはデザインだけの車といってもよかった。そのデザインが当時は突飛すぎて受け入れられなかった以上、とりあげられにくくなっているのだろう。

3.デザインの特異性
 全体を独特のオーバルシェイプにしたことで、重量感がなく浮き上がった印象になり、特にフロントバンパー下の空間が斜め前の比較的低い位置から見た時に車両前端を浮き上がらせて見せ、ワイド&ローのスポーツカーイメージから隔たりを感じさせている。また、前後から見た時のピアッツァをとても小さく迫力のないものに見せてしまっている。この特徴は一般的な乗用車撮影の角度で現れやすいため、他の乗用車と並べられるカタログ類で不利に働いている可能性がある。

4.車幅から来るデザインの小破綻
 ピアッツァは車幅が1655mmと狭く、しかし室内の幅を充分に取ろうとしたため、側面のパネルが立ってしまい、充分な斜面や曲面をもたせることができなかった。ジウジアーロはトレッドを広くすることを希望したがいすゞが認めなかったためにこのようになっているようだ。このことから、前後に伸びやかだが左右には寸詰まり感のあるものになってしまい、少々デザイン上の破綻が見られる。これは同じジウジアーロデザインで、ワイドボディのロータスエスプリ(1860mm)やデロリアンDMC-12(1988mm)と比較してみると非常によくわかる。これが物足りなさを生んでいるかも知れない。

5.写真ではアピールしにくいデザイン
 クレイを削って仕上げたデザインらしく、独特な流麗なラインは実車のそばに立った時強くアピールする。実車を間近で見たものだけがその美しさを実感できるが故に、その機会が少なかったピアッツァは顧みられにくかった可能性がある。


6.モデル末期の暗色系の多さ
 ピアッツァは、平面とエッジ、全体的には丸みを帯びたフォルムを特徴とし、形そのものにデザイン的特徴がある。こういう車で暗色系を使うと、映り込みの美しさ生かせず形は不明確になる。明色系がもっともデザインをアピールする。
 登場時こそ明色系が多く豊かな色彩が選べたが、時代的な背景からモデル末期には黒やブリティッシュグリーンなどの暗色系が多くをしめるに至った。このために、「ピアッツァの形」がアピールされることなく、「不人気の変わった車」というレッテルだけが残ったのかも知れない。



 美しさとかっこよさとは異なる。一般の人々が車に求めるのはかっこよさであって美しさではないようだ。一方、旧車には美しさも求められるが、クロームメッキバンパーでもなく現代的すぎるピアッツァは旧車として認知されにくく、美しさを評価される機会を失っている。
 結局のところ、中途半端な存在だと言うことだろう。